


東京吉祥寺にて店長と店員のふたりで運営している小さな店です。
むかしから旅好きで、会社勤めの頃から仕事の休みが取れるとどこかを旅していました。
そんな中で出会う古いものに魅せられ2013年にアンティーク、ブロカントショップを開きました。
古いものが生まれ育んできた時代背景や風土を調べていくと、その物の存在価値や理由が見えてきたりします。そんなことを知るのがとても好きです。
何か気になるものがありましたら遠慮なくお声がけください。
Pot a confitures Felix Potin Paris ceramique Luneville kt2702
¥33,000
SOLD OUT
“Félix Potin Paris″ の古いジャム瓶(コンフィチュールポット) 「フェリックス・ポティン」は1844年にパリに初めての大型小売店(いわゆるスーパーマーケット)としてオープンしました。 若い実業家のジャン・ルイ・フェリックス・ポティン(1820-1877)によって設立されました。 これは1852年に世界初の百貨店として創業した「ボン・マルシェ」よりも古い歴史になります。 1861年にパリ北の郊外に大きな工場を作り、そこで “Félix Potin Paris″ のオリジナルブランドを立ち上げ、自社製品として事業を拡大します。 1923年には店舗はイル・ド・フランスを中心に各地に70店舗にまで増えたそうです。 この事業は1958年に買収されるまで長きにわたり存続されます。 こちらはその時の工場が転写されてポットです。ポティンのポットはいくつかのデザインがあります。 当時、お店で自家製ジャムの量り売りをしていて、このジャムポットにジャムを詰めていたそうです。 この工場で製造したジャムを店内で販売していたのですね。こちらはその当時のジャムポットになります。 本品は19世紀後期のリュネヴィル窯の陶器になります。底面にはリュネヴィルの刻印が記されています。 経年変化による染みや汚れ、欠けがあります。上部の口部分に欠けを修理した形跡があります。 ポティンのポットは古いため良好なものが非常に少なく、本品は大きな欠けや割れの無い良好な状態です。 ・France 19世紀後期 ・サイズ:直径9.5cm×高さ13.5cm
d’Onnaing サボンカップ CRISTAUX A ベージュ kt3155-1
¥12,000
Societe Anonyme de la Faiencerie d’Onnaing d’Onnaing(ドゥナン)はフランス北部オー・ドゥ・フランスのベルギー国境沿いにある小さな町。 ドゥナン窯はその地で1821年、フェルディナン・ルイ・ド・ブージー兄弟(Ferdinand-Louis de Bousies)、シャルル・ド・ブージー兄弟(Charles de Bousies)によって設立されました。もとはベルギーの古窯ニミー(Nimy)の子会社的存在だったようです。その後、1894年に正式な社名は Societe Anonyme de la Faiencerie d’Onnaing になりました。 第一次世界大戦の勃発により工場は建物、オーブン、金型など多くが破壊されました。戦後1921年に生産が再開されましたが、当初のレベルに戻ることはできず、1938年に製造が中止されました。会社は1947年に完全に清算されました。 本品は、セラミッククリスタル用の大きめのポット CRISTAUX=クリスタルはフランス語で「水晶」の意味で、プロヴァンス地方でオリーブをベースに作られた多目的洗剤です。 元はホワイトアイボリー地の陶器で、アンティークで特徴のあるアールデコのフォントが黒字で描かれています。”CRISTAUX” は在庫が2点あり、本品には貫入がたくさん入っており、地の色もベージュ色に変わっていて大変趣があります。縁部分に大きな欠けがあります。それ以外の傷や欠けはあまりありません。 ・France 1900’s前期 ・サイズ:高さ10.5cmx直径: 11.5cm
d’Onnaing サボンカップ CRISTAUX B アイボリー kt3155-2
¥12,000
Societe Anonyme de la Faiencerie d’Onnaing d’Onnaing(ドゥナン)はフランス北部オー・ドゥ・フランスのベルギー国境沿いにある小さな町。 ドゥナン窯はその地で1821年、フェルディナン・ルイ・ド・ブージー兄弟(Ferdinand-Louis de Bousies)、シャルル・ド・ブージー兄弟(Charles de Bousies)によって設立されました。もとはベルギーの古窯ニミー(Nimy)の子会社的存在だったようです。その後、1894年に正式な社名は Societe Anonyme de la Faiencerie d’Onnaing になりました。 第一次世界大戦の勃発により工場は建物、オーブン、金型など多くが破壊されました。戦後1921年に生産が再開されましたが、当初のレベルに戻ることはできず、1938年に製造が中止されました。会社は1947年に完全に清算されました。 本品は、セラミッククリスタル用洗剤の大きめのポット CRISTAUX=クリスタルはフランス語で「水晶」の意味で、プロヴァンス地方でオリーブをベースに作られた多目的洗剤です。 ホワイトアイボリー地の陶器で、アンティークで特徴のあるフォントが黒字で描かれています。”CRISTAUX” は在庫が2点あり、ひとつは貫入がたくさん入っているベージュ色で、本品は貫入の少ないアイボリー色になります。底部裏面に大きな表面の剥がれがございます。使用には問題ありません。傷や欠けはどちにもございますが趣があります。 ・France 1900’s前期 ・サイズ:高さ10.5cmx直径: 11.5cm
d’Onnaing サボンカップ SAVON NOIR kt3155-3
¥12,000
Societe Anonyme de la Faiencerie d’Onnaing d’Onnaing(ドゥナン)はフランス北部オー・ドゥ・フランスのベルギー国境沿いにある小さな町。 ドゥナン窯はその地で1821年、フェルディナン・ルイ・ド・ブージー兄弟(Ferdinand-Louis de Bousies)、シャルル・ド・ブージー兄弟(Charles de Bousies)によって設立されました。もとはベルギーの古窯ニミー(Nimy)の子会社的存在だったようです。その後、1894年に正式な社名は Societe Anonyme de la Faiencerie d’Onnaing になりました。 第一次世界大戦の勃発により工場は建物、オーブン、金型など多くが破壊されました。戦後1921年に生産が再開されましたが、当初のレベルに戻ることができず、1938年に製造が中止されました。会社は1947年に完全に清算されました。 本品は、ブラックソープ用の大きめのポット SAVON NOIR(サボンノワール)はフランス語で「黒い石鹸」の意味で、プロヴァンス地方でオリーブをベースに作られた多目的洗剤です。 ホワイトアイボリー地の陶器で、アンティークで特徴のあるアールデコなフォントが黒字で描かれています。”SAVON NOIR” の在庫は本品のみです。傷や欠けはございますが趣があります。 ・France 1900’s前期 ・サイズ:高さ10.5cmx直径: 11.5cm
Pexonne JARDINIERE ラヴィエ B kt3160-2
¥12,000
JARDINIERE(ジャルディニエール )モデルとは、主に花器のことを言います。園芸家、庭師,植木屋などの意味もあるそうです。陶器でこの名前が使われている場合は総じてお花の散りばめられた模様のことのようです。 バラのようなツバキのような小さな可愛いらしい花があしらわれたラヴィエ。縁回りにお花とフルー・ド・リス(fleur-de-lis)の模様がデザインされています。淡いブルーの色彩がとてもやさしく感じられます。 裏面に僅かな刻印が見られます。”PEXONNE.F”とプリントされています。1900年代後期の Faiencerie FF ( Fenal Frères) PEXONNE の刻印です。 ペクソンヌ窯は1830年頃にロレーヌ地方でニコラス フェナルが作った陶器窯がもとになり、彼を継いだ兄弟が1850年代にF.F(Fenal Frères).PEXONNEとして創業しました。フェナル・フレールはバドンヴィレー窯の前身でもあります。 ・France 1900’s後期 ・サイズ:縦12cmx幅24.5cmx高さ3.8cm
Pexonne JARDINIERE ラヴィエ A kt3160-1
¥12,000
JARDINIERE(ジャルディニエール )モデルとは、主に花器のことを言います。園芸家、庭師,植木屋などの意味もあるそうです。陶器でこの名前が使われている場合は総じてお花の散りばめられた模様のことのようです。 バラのようなツバキのような小さな可愛いらしい花があしらわれたラヴィエ。縁回りにお花とフルー・ド・リス(fleur-de-lis)の模様がデザインされています。淡いブルーの色彩がとてもやさしく感じられます。 裏面に僅かな刻印が見られます。”PEXONNE.F”とプリントされています。1900年代後期の Faiencerie FF ( Fenal Frères) PEXONNE の刻印です。 ペクソンヌ窯は1830年頃にロレーヌ地方でニコラス フェナルが作った陶器窯がもとになり、彼を継いだ兄弟が1850年代にF.F(Fenal Frères).PEXONNEとして創業しました。フェナル・フレールはバドンヴィレー窯の前身でもあります。 ・France 1900’s後期 ・サイズ:縦12cmx幅24.5cmx高さ3.8cm
ホーロー鋳鉄製トリベット Le Creuset 深緑 kt3163
¥15,900
フランスの古いトリベット フランス、ル・クルーゼ社のもので表面下部に「Le Creuset」と刻印されています。明確な製造年は不明ですが、フランスミッドセンチュリーのヴィンテージ品だと思われます。 クーザンスやル・クルーゼのアイテムは薄っぺらい鍋敷きとは違い、ずっしり重みのある高級感のある鋳物琺瑯です。 サイズは直径21cmくらいありますので大型の鍋やフライパンを置くことも出来そうです。 現在のル・クルーゼもそうですが、高品質の鋳物琺瑯は一生ものと言われています。使えば使うほど味が出てきます。 デザイン、カラーとも現在では作られていない渋めの色合いが素敵です。 <Le Creuset(ル・クルーゼ)> ル・クルーゼとは、「るつぼ」あるいは「大釜」を意味するフランス語だそうです。ベルギーの2人の実業家、アルマン・デザエガー(Armand Desaegher)とオクターヴ・オーベック(Octave Aubecq)がブリュッセルで出会い、ル・クルーゼは1925年、北フランスの小さな村「フレノワ・ル・グラン」に設立されました。200年以上も前からこの地で作られていた鋳物ホーロー鍋に、初めてカラーリングをほどこす技術を発明し、初めてフレンチオーブンの製造に成功しました。 ・France 1940-1960’s ・サイズ:直径21cmx高さ2.9cm 重量:0.99kg
Coffee grinder Peugeot GI France kt3150
¥37,000
Peugeot GI Peugeot Freres のコーヒーグラインダーGI GI はプジョー社の100周年記念に作られたモデル。生産数も少なかったため残存数が少なく、状態の良い物はなかなか見つけることが出来ません。 オールドプジョー好きの方には一台持っていたい憧れのレアモデルです。 経年の汚れはありますが塗装はオリジナルアイボリーの外観。表面の傷や塗装の剥がれ、ライオンマークも半分くらいしか残っていません。きっと前の持ち主に長く愛用されていたのでしょう。使い古されたGI は重量感がありとてもいい感じになっています。 しかし刃の状態は非常に良好で、試し挽きも行いましたがまだまだ使えます。 ひととおり、レストアして表面の掃除、内部の錆取り、目詰まり、刃の洗浄まで済ませてあります。 プジョーはフランスの自動車メーカーとして有名ですが、 元々は1824年にプジョー兄弟 (Peugeot Frères )が父から引き継いだ製鋼所から始まりました。当時は工具や刃物、スプリングといった鋼製部品や大工道具などを作っていたそうです。 現在のライオンのマークは1858年に商標登録されたもので、その頃よりコーヒーグラインダーやペッパーミルといった刃物に特化した製品の製作を始めました。プジョーが本格的に自動車の開発を始めたのは1880年代頃からといわれています。 プジョー製コーヒーグラインダーは鋼材(刃)に定評があり、現在でもコーヒーのプロの人たちに人気があります。職人の手仕事でひとつひとつ作られた古いグラインダーは根強い人気があります。 ・France 1950’s ・サイズ:直径10cmx高さ15.2cm(ハンドルトップまで17.6cm)
PEUGEOT Diabolo France kt3149
¥36,000
Peugeot Freres 社のコーヒーグラインダー、DIABOLO DIABOLO は円筒型に腰の括れた特徴的なフォルムをしていて、くびれた部分に巻いた糸を左右の手で操って遊ぶ「空中ごま」のことだそうです。 DIABOLOはプジョー社の100周年記念に作られたGIとほぼ同時期に作られたモデルで、1952年~56年の4年間しか製造されませんでした。そのため残存数が少なく、状態の良い物はなかなか見つけることが出来ません。 オールドプジョー好きの方にはGシリーズと共に一台持っていたい憧れのレアモデルです。 DIABOLOにはもうひとつ、 Diabolo Camping というモデルがあります。こちらは下部の受け皿がベークライト製になっています。こちらは Diabolo の中でもよりレアといわれています。 塗装はオリジナルでアイボリー色の外観で、経年の汚れはありますが傷も比較的少なくライオンマークも鮮明にの固定ます。刃の状態も良好です。 ひととおり、レストアして表面の掃除、内部の錆取り、目詰まり、刃の洗浄まで済ませてあります。 試し挽きも行いましたが良好です。 ・France 1952-56’s ・サイズ:直径9cmx高さ17.5cm(ハンドルトップまで20cm)
PEUGEOT Diabolo Camping ベークライトケース kt2461-2
¥35,000
Moulin a cafe vintage vintage PEUGEOT Diabolo Camping France Peugeot Freres社のコーヒーグラインダー、DIABOLO DIABOLO は円筒型に腰の括れた特徴的なフォルムをしていて、くびれた部分に巻いた糸を左右の手で操って遊ぶ「空中ごま」の意味だそうです。 DIABOLOはプジョー社の100周年記念に作られたGIモデルとほぼ同時期に製造されたモデルで、1952〜56年の4年間ほどしか製造されませんでした。 そのため残存数が少なく、状態の良い物はなかなか見つけることが出来ません。 プジョー好きの方には一台は持っておきたいと言われる人気のモデルです。 本品は Diabolo Camping といって、下部の受け皿がベークライト製になっています。 こちらは Diabolo の中でもよりレアアイテムといわれています。 塗装はオリジナルでアイボリー色の外観は傷も少なく刃の状態も良好です。 ひととおりレストアして洗浄、試し挽きまで済ませてあります。挽き具合も大変良好です。 下部ベークライト製受け皿は経年変化で微妙に歪んでいます。 写真のようにセッティングは出来ますが、上部本体とうまく嚙み合わず少しぐらつきがあります。 ・France 1952-56年 ・サイズ:直径9.5cmx高さ21cm(ハンドルトップまで)
Digoin Sarreguemines 白磁スーププレート France kt3157-A
¥7,700
Digoin Sarreguemines 白磁スーププレート 1900年前期の白磁のスーププレート(深皿)です。 きめの細かな美しい白が特徴的で、表面は柔らかな無色の釉薬でとても滑らかに仕上がっています。 サイズは直径20cm、高さが4.5cmほどで、スープやサラダ、シチューやカレーなど様々なお料理に使えそうです。年代の割に状態は良好で、縁周辺などに僅かな欠けや貫入がありアンティーク感を醸し出しています。 本品は刻印より第一次世界大戦後にディゴワン窯で作陶されたものと思われます。 ・France 1920-50’s ・サイズ:直径20.5cmx高さ4.5cm
Digoin Sarreguemines 白磁スーププレート France kt3157-B
¥7,700
Digoin Sarreguemines 白磁スーププレート 1900年前期の白磁のスーププレート(深皿)です。 きめの細かな美しい白が特徴的で、表面は柔らかな無色の釉薬でとても滑らかに仕上がっています。 サイズは直径20cm、高さが4.5cmほどで、スープやサラダ、シチューやカレーなど様々なお料理に使えそうです。年代の割に状態は良好で、縁周辺などに僅かな欠けや貫入がありアンティーク感を醸し出しています。 本品は刻印より第一次世界大戦後にディゴワン窯で作陶されたものと思われます。 ・France 1920-50’s ・サイズ:直径20.5cmx高さ4.5cm
アール・ヌーボー フランスの小さなティンケース ot1977
¥7,300
Supreme Pernot シュプリーム・ペルノ(Supreme Pernot)のビスケット用ティンケースとして1915年頃、パリのアルフレッド・リオム&シエ(Alfred Riom&Cie)社によって制作されました。 ペルノビスケット工場(Usine des biscuits Pernot)は 1869 年にオーギュスト・ペルノによって、フランス中東部ブルゴーニュ地方のディジョンに設立されたマスタードとビスケットの工場です。 表面には「Supreme Pernot」と「Le meilleur des desserts fins」と書かれており、「至高のペルノ」「極上のデザート」を意味し、プレミアム品質のお菓子を提供するブランドのお菓子であることを謳っています。 ディジョンはフランスのマスタードの生産地として有名な地ですが、ペルノビスケット工場はフランスの老舗ビスケット工場として1世紀にわたり、ビスケット、お菓子、マカロン、ガレット、ウエハースなど、さまざまな製品を製造してきました。当時長持ちさせるために二度調理する必要があるため、ビスケット(二度調理)という名前が付けられました。 この小さなティンケースは森の中に座る赤い服を着た少女と、ヒイラギとヤドリギをモチーフにクリスマスをテーマにしたとてもチャーミングな装飾で、当時のアールヌーボー様式のデザインで作られています。 デザインは ヴィンセント・ロラン・ハイルボーン(Vincent Lorant Heilbronn)およびヴィンセント・ギュイエ( Vincent Guillet)という2人のイラスレーターのアートワークで、原作は1895年に商業用ポスターとして制作されたと言われています。 ・France 1900年前期 ・サイズ:縦5cmx横9.5cmx高さ1.5cm
アールヌーボー 小さなビスケットティンケース ot1978
¥7,400
フランスペルノビスケット社の1920年代の古いブリキの小さなティンケース ブリキでできた小さな薄いティンケースで表面には薄いブラウン系の花と植物の華やかなアラベスク模様で囲まれています。当時のアールヌーボーに強く影響を受けてた有機的なモチーフや自由な曲線によるデザインとなっています。 表面には、”Madrigal” Dessert Sec Exquis Leger とあります。 “Madrigal” マドリガルは商品名で、”Madrigale” は14世紀イタリア発祥の歌曲形式のことで、16世紀ルネッサンス時代に多くの作品が作られ、17世紀に入るとカンタータに移行していきました。 “Dessert Sec Exquis Leger” は「絶妙な軽いドライデザート」という意味。 裏面には “Biscuits Pernot Dijon” と表記されています。 ペルノビスケット工場は1869 年にオーギュスト・ペルノによって、フランス中東部ブルゴーニュ地方のディジョンに設立されたマスタードとビスケットの工場です。 ディジョンはフランスのマスタードの生産地として有名な所ですが、ペルノビスケット工場はフランスの老舗ビスケット工場として1世紀にわたり、ビスケット、お菓子、マカロン、ガレット、ウエハースなど、さまざまな製品を製造してきました。長持ちさせるために二度調理する必要があるため、ビスケット(二度調理)という名前が付けられました。 ・Frannce 1920’s ・サイズ:6cmx6cmx1.4cm
古いベルギーのビスケット缶 ot0202
¥6,900
ブリキに紙張りの古いアントワープにあったビスケット会社の缶です。 表面の紙はだいぶ剥がれてきていて当店で少し修復しました。古いアンティークのブリキ缶は非常に趣があります。実際の蓋も開きますので使うことも出来ます。ただ貼られた紙が少しづつ剥がれてくるかもしれません。お部屋の飾りやお店のディスプレイなどにいかがでしょうか? Van Den Bergh’s Biscuit Co. ファン・デン・ベルグという名前はベルギーやオランダではよくある名前で、色々調べましたがどれが探しているビスケット会社なのか決定的な資料が無く、結局特定することが出来ませんでした。 ヒントとして表紙に大きく「ANVERS」と印刷されていますので、間違いなくアントワープにあった会社だと思います。アントワープで最も有名な『ファン・デン・ベルグ』はというと、フリッツ・マイヤー・ファン・デン・ベルグさん(1858-1901)になります。彼はアントワープの名士で美術収集家として有名で、彼の収蔵品を集めた美術館が今も町に現存しています。彼は実業家でもあったので、彼の運営するビスケット会社だったのかもしれません。 ・Belgium 1900’s前期 ・サイズ:縦23cmx横21.5cmx高さ6cm
Finnish Design のスタンプブック st0014
¥5,150
タイトル:FINNISH DESIGN 著者:Riikka Voutilainen ; Kari Piippo 出版:Posti(フィンランド郵便局) 1997年 厚紙によるソフトカバー テキストは英語、ドイツ語、スウェーデン語、フィンランド語で説明されています。 ページ数:30pp. こちらは2003年にヘルシンキを訪れた時に購入したデザインブックです。 フィンランドを代表するデザイナー、アルヴァ・アアルトやカイ・フランクなどの作品が切手とともに美しい写真と共に掲載されています。 切手は1997年11月にフィンランド郵便局より発行された本物ですべて未使用の新品です。切手はフィルムに入っており当時のままの状態を保っています。 それぞれの切手の横には各デザイナーの写真とプロフィールが記載されています。 表紙は購入後間もなくラッピングしていますので、状態はほぼ購入時のままで良好です。 ・Finland 1997年 ・サイズ:縦21cmx横21.5cm
Enfants Richard サルグミンヌ サーカスシリーズ 丸皿大欠け有り kt3146
¥13,000
Les Enfants Richard “circus series” Sarreguemines 非常にレアな『アンファンリシャール』 のサーカスシリーズのディネットが届きました。 “Les Enfants Richard” シリーズは、19世紀末ごろに Froment Richard(1845-1921)を中心に、19世紀のイギリスのイラストレーターのケイト・グリーナウェイ(Kate Greenaway)や、”Chocolat Menier” の落書きをする少女の後ろ姿を描いたイラストで有名なフィルマン・ブイセ(Firmin Bouisset)などによって制作されました。 本品は、フロマン・リシャール(Froment Richard)として知られるアントワーヌ・アルベルト・リシャール(Antoine-Albert Richard)によって描かれた作品と思われます。 本品は縁部分に0.6cm程の欠けがあります。詳細はお写真でご確認ください。 ・France 1875-1880’s頃 ・丸皿大:直径11.1cmx高さ1.5cm
Enfants Richard サルグミンヌ サーカスシリーズ コンポティエ欠け有 kt3140
¥16,000
Les Enfants Richard “circus series” Sarreguemines 非常にレアな『アンファンリシャール』 のサーカスシリーズのディネットが届きました。 “Les Enfants Richard” シリーズは、19世紀末ごろに Froment Richard(1845-1921)を中心に、19世紀のイギリスのイラストレーターのケイト・グリーナウェイ(Kate Greenaway)や、”Chocolat Menier” の落書きをする少女の後ろ姿を描いたイラストで有名なフィルマン・ブイセ(Firmin Bouisset)などによって制作されました。 本品は、フロマン・リシャール(Froment Richard)として知られるアントワーヌ・アルベルト・リシャール(Antoine-Albert Richard)によって描かれた作品と思われます。 本品には縁部分に約0.8cm程の欠けがあります。詳細はお写真でご確認ください。 ・France 1875-1880’s頃 ・サイズ:直径8.1cmx高さ3.6cm
Rouen Jules Vieillard&Cie Bordeaux 深皿A kt3129A
¥8,400
SOLD OUT
こちらのお皿は “Rouen”(ルーアン)という名のついたシリーズです。ルーアンはフランス、ノルマンディ地方の街。ジャンヌ・ダルクゆかりの地として有名で、中世の古都であり、ルーアン大聖堂はゴシック建築の代表作として知られています。 本品のデザインの意図するところはわかりませんが、濃い青(藍色)に植物をモチーフにしたような非常に威厳のある装飾がとてもいい感じです。プレートの裏面には 筆記体で “JVB” と記されています。これは19世紀の Jules Vieillard&Cie Bordeaux の頭文字の刻印になります。 年代のわりに状態は良好ですが、縁回りの釉薬が剥がれて素地が露出している部分がございます。 J. Vieillard & Cie はボルドーのケ・ド・バカランにある陶器工場で、ジュール・ヴィエイヤールは1845年にデビッド・ジョンソンの所有していた陶器工場を引き継ぎました。1868年に亡くなるまでジュール・ヴィエイヤールが経営していました。1865年からは父と経営を分担していた息子のアルベールとシャルルが引き継ぎ、1895年に工場は閉鎖されました。 美しい物語のような絵柄は陶器というよりは絵画のようで、当時フランスで大変人気を博しました。たった50年間という短い期間に上質で美しい作品を残しました。その製作期間の短さと独特の個性的な作陶のため残存数が少なく、19世紀の貴重な陶器メーカーとされています。 1852年10月、ルイ・ナポレオン・ボナパルトがボルドーを訪れた際、工場見学を依頼した大統領からリボンとレジオンドヌール勲章を受けました。 ・France 1870-1880’s ・サイズ:直径22.5cmx高さ2.6cm
Rouen Jules Vieillard&Cie Bordeaux 深皿B kt3129B
¥8,400
SOLD OUT
こちらのお皿は “Rouen”(ルーアン)という名のついたシリーズです。ルーアンはフランス、ノルマンディ地方の街。ジャンヌ・ダルクゆかりの地として有名で、中世の古都であり、ルーアン大聖堂はゴシック建築の代表作として知られています。 本品のデザインの意図するところはわかりませんが、濃い青(藍色)に植物をモチーフにしたような非常に威厳のある装飾がとてもいい感じです。プレートの裏面には 筆記体で “JVB” と記されています。これは19世紀の Jules Vieillard&Cie Bordeaux の頭文字の刻印になります。 年代のわりに状態は良好ですが、縁回りの釉薬が剥がれて素地が露出している部分がございます。詳細は写真でご確認ください。 J. Vieillard & Cie はボルドーのケ・ド・バカランにある陶器工場で、ジュール・ヴィエイヤールは1845年にデビッド・ジョンソンの所有していた陶器工場を引き継ぎました。1868年に亡くなるまでジュール・ヴィエイヤールが経営していました。1865年からは父と経営を分担していた息子のアルベールとシャルルが引き継ぎ、1895年に工場は閉鎖されました。 美しい物語のような絵柄は陶器というよりは絵画のようで、当時フランスで大変人気を博しました。たった50年間という短い期間に上質で美しい作品を残しました。その製作期間の短さと独特の個性的な作陶のため残存数が少なく、19世紀の貴重な陶器メーカーとされています。 1852年10月、ルイ・ナポレオン・ボナパルトがボルドーを訪れた際、工場見学を依頼した大統領からリボンとレジオンドヌール勲章を受けました。 ・France 1870-1880’s ・サイズ:直径22.5cmx高さ2.6cm
筆記体アルファベット・数字の金属プレート lot 118プレート ot1907
¥15,400
SOLD OUT
アルファベットと数字の筆記体で描かれた使途不明の謎のプレート。 重さのある金属で、アルファベットや数字は滑らかに彫り込んで作られています。 彫り込んだ先は金色で彩をしてあります。ひとつひとつは斜めにカットされていますが、 繋げると筆記体の文字ごとの繋がりが見られます。元々繋がって使用していたものを カットした物なのか、作る過程で繋がりがあった物をカットしたのか謎です。 スタンプや活版印刷の用途の物かとも思いましたが、それでは凸凹が逆(彫り込んでいるため)なので、シーリングスタンプのヘッドのような何かを流し込んで使用する物なのか。 いろいろ考えましたが私の想像はここで止まってしまいました。 全部で118枚あります。 アルファベットの文字は判読不明な物もありますので、写真を参考になさってください。 重厚感がありますので、ディスプレイのひとつとしてお使いになると映えるのではないでしょうか。 ・買付け地France 1900年中期 ・サイズ:文字1cm~3cm×高さ3cm×厚み2mm(各文字により違います) 数字0.5cm~1.5cm×高さ3cm×厚み2mm(各数字により違います)
ムスティエ BARBAROUX DE MOUSTIERS KT2927-1
¥16,500
こちらはムスティエ焼きの素朴で厚みのあるお皿。アイボリーホワイト地の釉薬の真ん中に可愛いお花が一輪、縁回りには黄身色のアクセントが施されています。 17世紀後半から19世紀初頭にかけてムスティエはフランス陶工の主要な中心地でした。南仏プロヴァンスにある町、ムスティエ・サント・マリーは17世紀からファイアンス焼の街として栄えます。 当初は緑と茶色の自然な色合いの釉をかけた陶器が作られていました。1668年にイタリアの修道士によって、ムスティエに白い釉(スズを含む)の作り方を秘伝されたと言われています。 ルイ14世(1643-1715)の時代、国の財政を救済するため金や銀の食器を溶かして財源にするよう王命が発せられ、それにより金銀器の代わりにムスティエの陶器が、ヨーロッパの宮廷界で最高の名声を得ることになりました。 しかし19世紀になると、英国から美しい白の陶磁器がフランスに流入、2世紀に渡るムスティエの陶器は衰退し、最後の炉は1873年に閉鎖されました。 その後、1920年頃からプロヴァンスではムスティエのファイアンス焼を復活させるため、再び陶器工房が復活しました。 1789年、ムスティエには11の工房があり、アシャール、バルバル、ベルビギエとフェロー、ボンディル父と息子、カンボンとアンテルミー、フェラ兄弟、フーク父と息子、ギシャール、ロージェとシェークス、ミル、ペロカンとベルジュ、ティオン、イカード、フェラルドなどの陶芸家いました。 本品の裏面には BARBAROUX DE MOUSTIERS の刻印がスタンプされています。マルグリット・フランソワーズ・バルバル工房のことと思われます。前回のジョゼフ・フーク(Joseph Fouque)と同時代の陶芸家でムスティエに陶器工房を設立しました。バルバル工房は1840年に閉鎖されました。 ・France 19世紀前期頃 ・サイズ:直径22cmx高さ2.8cm
Droste Cacao ブリキの赤いトール缶 ot1975
¥6,300
ドロステココアパウダーの赤い缶 Droste BVはオランダのチョコレート製造会社。本社と工場はオランダのファーセン村にあります。1863年にハールレム市で G.J.ドロステ (Gerardus Johannes Droste) によってビスケットとチョコレートの製造会社として設立されました。 1920年にDroste BVは、Droste’s Cacao en Chocoladefabrieken N.V.と呼ばれる公開有限会社に変わりました。 1920年以降、ドロステのチョコレートは海外でも有名になり、ロンドン、パリ、プラハ、ニューヨーク、シカゴ、ボストンなど世界中で販売されるようになりました。 1964年にドレステは「ロイヤル」の称号を受け、Koninklijke Droste Fabrieken NV に改名されました。 本品には、Droste’s Cacao- en Chocoladefabrieken の刻印がありますので、1920年以降のものと思われます。 本品のココアパウダーのパッケージは、ナース服を着た看護師がミルクの入ったカップとドロステのココア持って給仕をする姿でオランダでは大変有名なイラストです。このデザインは1904年に初めて登場して以来現在も使われています。このパッケージはオランダのデザイナー、ヤン・ミスセットによって描かれましたが、この同じ絵が繰り返される「ドロステ効果」として有名になり、エッシャーなどにも影響を与えました。 当時のままのデザインがしっかり残っていてオランダらしい格式のあるチャーミングなブリキ缶です。 蓋は一辺がヒンジで固定されています。蓋の周りのアラベスクデザインも素敵です。缶の裏には年度別に受賞した7つのメダルがデザインされています。 ・オランダ 1920年以降 ・サイズ:縦10.3cmx横10.3cmx高さ18.7cmx高さ4.5cm
Creil et Montereau L.M.&Cie オーバル皿 kt3081
¥19,800
19世紀半ばごろのクレイユ&モントローのオーバル皿です。 モントロー窯は1748年創業のパリの南にある古窯。 当時から繊細な絵付け技術に定評があり、当時のパリのブルジョアたちにも人気を博した窯でした。 一方クレイユ窯はパリの北に1797年に設立された古窯で、英国のウェッジウッドのボーンチャイナを範としていました。 本品は、Lebeuf Millet&Cie(1840-1875)の時代の作陶品です。 L.M.&Cie は、銀行家だった Louis Martin Lebeuf ルイ・マルティン・ルブフ (1792-1854)と、Jean Baptiste Gratien Milliet ジャン・バティスト・グラティアン・ミリエット(1797-1875)のこと。二人は1841年にクレイユ製陶工場の共同経営者となりました。 合併後、Faïenceries de Creil et Montereau として、1876年まで Lebeuf, Milliet & Cie(L.M.&Cie)の刻印が使用されていました。しかし1895年のクレイユ工場の火災により操業は停止され、その後、1920年までモントロー工場のみで製造を続けていました。 サイズは長尺が39cmほどある大皿で、クレイユ窯独特の薄青の白色をしています。年代の割には状態は良好ですが、縁部分2ヶ所2cmほど釉薬の剥がれがあります。釉薬の取れたところから少しの貫入(染み)が見られます。 内側のカトラリースクラッチも少ないです。長尺の一辺に恐らく製造時にできたと思われる撓みがあります。 本来無いものでしょうが、この撓みが150年以上もむかしの時代を思わせる、ひとつの道標のように思われます。古いカトラリースクラッチの痕と同じですね。 ・France 1840-1876’s ・サイズ:縦38.8cmx横26.8cmx高さ3.5-4.0cm
Tsubame Märkt ツバメ・マルクト
Tokyo Kichijoji
東京都武蔵野市吉祥寺本町2-14-26
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